密約 外務省機密漏洩事件 1988-06-11

公開:1988-06-11/製作:1978年    old
日本
 

解説

1972年の沖縄返還に伴い、日本とアメリカの政府間で極秘に交わされた密約をスクープした外務省機密漏洩事件を映像化した社会派ドラマ。1978年にテレビドラマとして放送され、その10年後には劇場公開された。ドキュメンタリー作家、澤地久枝の原作を基に、新聞記者、外務省の女性事務官、そして原作者の3者の視点で描かれる。国民の知る権利、ジャーナリズムのあり方、さらには権力の横行など、今でも話題となるさまざまな問題について考えさせられる。

あらすじ

昭和46年2月、東日新聞の記者・石山太一は、近く行われる沖縄返還交渉担当のキャップとして外務省へ送られた。日本政府は地主など個人に対する損害補賞をアメリカに請求したが、アメリカ側は基地の撤去費などを日本に負担させようとしていた。そこで考えられたのが、政府が請求権を全面的に肩代わりするという密約である。石山は確実な情報を手に入れたいがために、外務省の女性事務官・筈見絹子に接近。私鉄ストの日、石山は絹子を食事に誘った後、ダンスホールへ連れていった。6月9日、外相と国務長官の会談で、沖縄に関する交渉は終わり、表向きアメリカが自発的に支払うことで決着がついた。石山は絹子から外務省の極秘書類のコピーを譲り受け、日米間の密約をスクープした。翌47年4月、石山と筈見の二人は国家公務員法違反容疑で逮捕された。この頃には二人の関係も冷めきっていた。この事件に深い関心を抱いた作家の澤井久代は裁判を傍聴していて、石山の部下の久我原記者と知り合った。澤井は裁判が密約を行った政府の政治責任を問わず、二人の倫理性だけを裁こうとしているのに疑問を持った。49年1月東京地裁は絹子に懲役6か月、執行猶予1年、石山に無罪の判決を下した。検事側は控訴し、50年7月、東京高裁は石山に懲役4か月を言い渡した。石山は最高裁に上告したが、これは棄却された。絹子は有罪判決を受けたが、その後週刊誌に手記を発表するなど時の人となった。絹子の不可解な言動に、澤井は会ってみようと考えたが、仲介の中田弁護士は執拗に拒み続けた。事件の真相はうやむやなまま裁判は終わった。

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