遥かなる甲子園 1990-06-09
解説
戸部良也の同名小説および山本おさむによる同名マンガと、小野卓司のノンフィクション『廃校の夏―風疹児たちのプレイボール』を原作として製作された感動作。聴覚障害を持ちながら、野球に情熱を傾ける球児たちの姿を描く。国弘威雄が脚本を担当し、大澤豊が監督した。
沖縄の風疹聴覚障害児のための聾学校“北城ろう学校”の生徒である真壁敏夫は、夏に甲子園球場で観戦した高校野球の興奮が忘れられず、新城先生に野球部を作ってほしいと願い出る。新城と校長は野球部を創設するが、日本学生野球憲章によると聾学校は高野連への加盟ができないことになっていた。だが試験試合でコールド負けしたにもかかわらず高野連加盟が認められ、野球部は本格的に始動したのだった。
あらすじ
昭和39年、アメリカで猛威をふるった風しんは沖縄にも及び、風しんにかかった妊婦から数多くの聴覚障害児が誕生した。それから15年後、彼らのための中等部・高等部の6年限りの存在で北城ろう学校が開設された。その生徒の一人、真壁敏夫は中等部3年の夏、甲子園に高校野球を観戦しに行った時、大きな感動を体験した。熱闘の中で、聞こえないはずの音を感じたのだ。僕も野球をやりたい、もう一度甲子園でこの音をグランドの中から聞きたい!そう決心した敏夫は、高等部始業式の日、生徒を代表して新城教諭に野球部設立のお願いをした。新城と校長の知念は、初めて自発的になった彼らの気持ちを受け止めようと、周囲の反対にあいながらも、野球部を誕生させたのだった。しかし、大きな壁が待ち受けていた。日本学生野球憲章にろう学校の高野連加盟は不可能という条項があったのだった。これでは他校と練習試合すら出来ない。しかし、高野連は試験試合を見て加盟を判断するとした。その試合は大差のコールド負けだったが、加盟を認められ、女子マネージャーも加わった北城ろう学校野球部は本格的に動き出したのだった。そして高校最後の年。この頃になると、就職に不安を持ち、野球を続けることに反対する親も出てきた。それは思うように勝てず挫折を味わっていた部員にも影響し、心は野球から離れる者も出てくるのだった。そこで敏夫は琉球高校との合同練習を考え出した。レベルの高い琉球高校の猛烈な練習と闘志に北城のナインの心も燃え、わだかまりはふっ切れて行った。そして、北城最後の公式戦となる夏の全国高校野球大会・沖縄県予選の日となった。そして、試合は接戦となり北城ろう学校野球部公式戦初勝利の夢をのせ、決戦を繰り広げるが敗れてしまう。しかし、北城ナインたちは力一杯戦った爽快感を全身で感じていたのだった。