侠客列伝
解説
「代貸」の棚田吾郎がシナリオを執筆し、「日本侠客伝 絶縁状」のマキノ雅弘が監督した任侠もの。撮影は「前科者」の鈴木重平。
あらすじ
明治40年春、賭博行為禁止条項を含む新しい刑法が施行。これに困惑した関東、関西の親分衆は、至誠愛国を掲げる日本大同会を結成し、当局の意向に応えようとする。会長には大阪天神一家・清水竹蔵が就き、結成式は箱根で行われることになる。そして、世話人には小田原の酒勾一家・円谷半次郎が指名される。全国親分衆を集めた盛大な結成式の場において、清水は出された料理に難癖をつけ、万座の前で半次郎を罵倒。さらには、その夜の大広間で開かれた賭場で再度の罵倒をする。思わず半次郎の手が胸のドスを握りしめると、この好機を逃さず、清水一派は半次郎の腹をドスで抉るのだった。そして、急遽開かれた日本大同会の臨時総会において、酒勾一家1年間の謹慎並びにシマはすべて中杉一家に譲るという一方的な決議となった。これに対し、半次郎の通夜をすませた代貸・伊之助以下30人は仇討ちの用意を始めるが、この事態を憂慮した関東筑波一家の坂上から、忍びがたきを忍んでも一家の立て直しをはかるのが、半次郎の遺志ではないかと諭し、この言葉に全員が涙をのんで従うのだった。だが、この長い苦しみと忍耐だけの生活に、一人、また一人と去っていき、残ったのは数人だけとなった。再び夏がめぐって来た。謹慎もあと数日を残すのみ。そんな中、人斬り浅と異名をとる直木浅次郎が、中杉一家にぶらりと草鞋を脱いだ。いよいよ、謹慎が解けるのを恐れた清水らは、謹慎期間中に酒勾一家を叩きつぶそうとの奸計から、廓で遊ぶ酒勾一家の喜平にわざと喧嘩をふきかける。我慢しきれず、ドスを抜いたところ、多勢に無勢、なますのように斬りきざまれる喜平。さらに、酒勾一家の最期の息の根を止めるべく、浅次郎に一宿一飯の義で伊之助を斬ることを命じる。息詰まる二人の対決。だが、その生死を決したのは、二人の対決の陰から伊之助を狙った1発の銃弾だった。あに図らんや、伊之助を庇った浅次郎が身代わりとなった。積年の憤怒を晴らすべく、伊之助を先頭に立てた命知らずの7人が、白だすきも勇ましく、日本大同会へとのり込んでいくのであった・・・。