調査屋マオさんの恋文 2020-12-19
公開:2020-12-19
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あらすじ
調査屋マオさんこと佐藤眞生さんは、終戦後、釜山から新潟へ命からがら帰還した。立命館大学を卒業した後、恩師の勧めで、アメリカで市場マーケティングを学び、友人たちと市場調査の会社を起業した。大阪で起業したのち、東京へ進出。千葉に移住し、当時の日本には数少なかった調査、企画、計画推進の最前線に身を置いた。ユニークな仕事として、お菓子メーカー・グリコのオモチャの選定や、アパレルメーカー・ワールドの男性ブランド(ドルチェ)の企画・開発、食品メーカー・キッコーマンのトマトジュースの販売訴求の調査などがある。その調査方法は精通者に質問して教えを乞うという、同業者がやっていなかった独自のアンケートによるものであった。調査には、名インタビュアー、ジェームズ・リプトンの「いい質問には良い答えが入っている」という言葉を胸に挑んでいた。仕事に明け暮れ、家庭は崩壊寸前に。「お父さん、今度いつ帰って来るの?」という息子の一言で、翌日には自分たちで立ち上げた会社を辞めてしまう。千葉県から大阪府茨木市へ移住すると、元々自然が好きだったマオさんは、縄文人の生き方に学び、自給自足の生活を始める。また、大阪で立ち上げた市場調査の会社では、ランチ時に企業同士をマッチングさせるサービスを始める。ユニークなビジネスということもあり、NHKをはじめとするマスコミで取り上げられた。現在は、縄文人の生き方を学ぶ場の塾長を務めるほか、縄文に関する書籍を自費出版するなどの活動を行っている。監督がマオさんと出会ったときは、認知症の妻、縫子さんの言動を記録していた。2019年6月に縫子さんが亡くなったあとは、妻の記録をもとに、認知症の人とその家族が住みやすい社会づくりを模索し続けている。