クロムウェル 1971-10-01

公開:1971-10-01    old
 

解説

 17世紀のイギリス、君主政治を廃して、民主制議会政治を目指したオリヴァー・クロムウェルを、史実に基づいて描く。クロムウェルが対立する王、リチャード一世にA・ギネス。

あらすじ

英国市民戦争(一六四二年一六四九年)は、新興中産階級と貴族政治との闘いであり、より具体的に言えば、オリバー・クロムウェル(R・ハリス)と国王チャールズ一世(A・ギネス)との闘いであった。大量生産と貿易が、国家の主要な財源となり、農耕経済が崩壊し、貴族階級にとってかわる、商人や銀行家などの政治介入が行なわれるようになってきた。彼らは、君主政治から議会政治への転換を要求し、すべての権利を議会に、と迫った。くわえて、宗教問題があった。国王チャールズはカトリックを選び、議会のプロテスタント--特にピューリタン派と対立したのである。一六四一年国王チャールズは、財政難打開のため議会を招集した。多くのピューリタンを擁する議会はこの時とばかり、王権変更を迫った。ピューリタンの二人の指導者、ジョン・ピムとヘンリー・アイアトンはクロムウェルに、王と戦う戦列に加わってくれと説得した。おだやかな紳士のクロムウェルも、国王チャールズのあまりの圧制に怒り、王へ戦いを決意した。次第に議会に押されていく国王チャールズは、一たん弱腰になったが、王妃の叱咤にあい挙兵を決心した。これに応じた議会側に、さらには農民、労働者、婦人らも加勢したが、戦争には全くの素人であり、次次とチャールズの軍門に下った。クロムウェルはマンチェスター伯爵(R・モーレイ)とエセックス卿(C・グレイ)の指揮ぶりに激怒し、自らの軍隊を作り上げた。これが“新模範軍”である。一六四五年六月、ネーズビーにおいてクロムウェルの率いる新模範軍は王党軍を徹底的に撃退し、国王はオックスフォードに孤立した。議会ではマンチェスターとエセックスがクロムウェルを斥けることを進言し、国王と手を結むべく策していたが、戻ったクロムウェルはこれを一気に蹴散らした。敗れたチャールズに妥協する気は毛頭なく、クロムウェルは遂に、国王死刑の署名を、議員たちに迫った。一六四九年一月三〇日冬の寒い朝、チャールズ一世はロンドンの大衆の面前で斬首された。こうして、英国史上初の、君主のいない共和制がしかれたのであるが、しかしそれは幻影にすぎなかった。議会はクロムウェルに王位をすすめ、彼はそれを断った。戦い終って六年、アイルランド鎮圧に向ったクロムウェルは、そこで議会の腐敗ぶりを耳にし、ロンドンへとってかえし、自ら独裁強化の政策をとって、護国卿に五年間就任。軍事独裁の執政を行なった。とは言え、クロムウェルは、悪法の改正、公共教育制度の制定など数多くの改良を行なった。

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