母子草 1959-04-22

公開:1959-04-22    old
 

解説

 国民映画脚本募集で一席入選した小糸のぶの『母子草』を、楠田芳子が脚色し山村聰が監督した。1942年の田坂具隆版に続く2回目の映画化。他の多くの山村作品同様、すでにフィルムは現存していないとされる。
 小沢しげは富士山の麓にある街で洋裁店を営んでいた。夫亡き後、長女の睦子、長男の秀一、次男の浩二を女手一つで育ててきた。教師を目指す睦子は、自分の戸籍謄本に「継母しげ」と書かれているのを見てショックを受ける。しかし藤本先生から、睦子の実母が秀一出産直後に高熱で亡くなったこと、後妻となったしげが二人を育ててくれたこと、睦子の父は浩二が生まれる前に戦死したことなどを聞かされた。ある日、受験に失敗し炭鉱で働き始めた秀一が失明したという知らせが届く。

あらすじ

富士山の麓にあるとある町。小沢しげはそこで洋裁店を営んでいる。彼女は、長女の睦子、高校一年の秀一、それに浩二の三人の子供をかかえ、夫亡き後の生活をミシンを踏んで支えているのだ。--ある日、睦子は職員室で書類の整理をしながら、自分の戸籍謄本に「継母しげ」の名が記されているのを見た。藤本先生は静かにこう話してくれた。十八年前、睦子の父は製紙工場を経営していたという。実母は弟の秀一を生むと間もなく産褥熱で亡くなった。父は後添えとしてしげを迎えた。そして応召を受けて戦死。その時しげは浩二をみごもっていた。それから今まで、しげは三人の子をかかえ苦しい生活を続けて来たというのだ。睦子の胸には感動がわいた。--睦子は隣村の小学校の教師となった。だが、秀一は東大を再びスベった。彼は、炭坑に行くと言って家を飛び出そうとした。睦子は秀一に戸籍の秘密を話した。秀一は、自分の力をためすために働くのだと言った。送別の宴。しげは泣きながら手拍子を打って歌った--睦子は、ある生徒の親である高山という男から求婚された。高山は妻を亡くしていた。しげはこの縁談に反対した。睦子は「私もお母さんの歩かれた尊い道を歩こうと思います」と言った。さらに、高山をも愛していると言ってしげを説いた。その時、秀一が怪我をしたという知らせが届いた。秀一の眼は再び開かなかった。が、彼の表情はいつも明るい。睦子の前で、しげが秀一の点字の手紙を読んだ。「……お母さんが習いはじめたという点字の手紙を読みながら、ぼくはいくたび泣いたか知れません。……いつかお母さんにお送りした母子草も咲いているでしょう。“盲いたるまぶたに咲けり母子草”……」朝の空気の中に、富士はひときわ美しかった。

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