風雲児 織田信長 1959-10-25

公開:1959-10-25    old
 

解説

 山岡荘八の長編小説『織田信長』を「百万両五十三次」の結束信二が脚色し「いろは若衆 花駕籠峠」の河野寿一が監督した時代劇巨編。父の死から桶狭間の戦まで、織田信長の半生を描く。
 父の葬儀に荒縄を腰に巻いた姿で現れた十六歳の織田信長は、抹香を位牌に投げつけた。世間からは狂人とののしられたが、妻の濃姫だけは信長の頬を伝う涙を見逃さなかった。濃姫の父である美濃の斉藤道三は信長に面会を要求してきたが、信長はこれを拒否し「うつけもの」の仮面をかぶり続けた。しかし最愛の家臣だった平手政秀が自害したことから、信長は一転して面会を受諾、礼装し千人の軍を率いて道三を圧倒した。しかし突然、今川義元が四万もの大軍を率いて尾張領に攻め込んできた。それに対して信長軍はわずか五千。今川軍はすでに桶狭間まで迫ってきていた。

あらすじ

父信秀が没したのは、信長が十六歳の時である。万松寺で行われた葬礼で、信長は荒縄を腰に巻いた異形の姿で現れ、抹香を父の位牌に投げつけた。妻の濃姫は彼の陽やけした頬に光る涙を見た。狂人とののしられながら、自己の信念に生きる信長も、人の子だったのか。世は戦国、群雄割拠の時代である。濃姫の実父・美濃国稲葉城主斎藤道三は、信長の尾張国を狙うものの一人だった。使が信長との会見を申入れてきた。信長は少しも関心を示さず、武術のケイコに励んでいた。「尾張の大うつけ」が定評となった。それが、信長のつけ目だった。その奇行は家臣までもあざむいた。彼の天下統一の野望を誰が知ろう。家老・平手政秀は諫書を呈すと、切腹して果てた。信長は心から信頼していた臣を失ったことを悲しんだ。それを契機に、彼は正徳寺で道三と会見した。道三は罠を用意していた。信長は槍と鉄砲計千人を道中にひき連れ、道三をおびやかし、会見の場では例の狂人的姿から礼装に早変りし、先手をうった。道三は手の掌を返すように歓待した。信長は彼に勝った。彼の帰りを予期しなかった濃姫はその無事を喜んだ。--突然、今川四万の大軍が、尾張領になだれこんできた。今川義元の目的は上洛にあった。信長の手勢は五千、その前衛は次々につぶされた。義元は勝報に気をよくし、折からの猛暑を田楽狭間に避けた。清洲城の信長は出陣の気配を示さなかった。家臣は焦立つ。信長は十倍の敵に対する作戦を考えていた。“十人に一人、十人がもし眠っていたら……”ふと濃姫のもらした言葉が、信長をとらえた。濃姫に鼓をうたせ、“敦盛”を静かに舞い納めると、彼はすぐさま出陣を命じた。軍は嵐をついて桶狭間を襲った。--義元の首級を馬前に、信長は清洲城に引き揚げた。白装束で死を決していた濃姫には、夢のようだった。

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