一万三千人の容疑者 1966-09-08

公開:1966-09-08/製作:1966年    old
日本
 

解説

 1960年代に起きた“吉展ちゃん事件”の主任刑事だった堀隆次の捜査手記を原作として、実在の誘拐事件に基づいて制作されたドキュメントドラマ。4月1日の夕方、下谷署に緊張が走った。子供の誘拐事件かという情報に捜査本部が立てられ、東北訛りの男が身代金五十万円を要求してきたのだが、指示された場所に張り込むも犯人は現れなかった。一週間後、再度男から五十万円の要求があったが、捜査陣と家族の連携ミスにより、犯人を取り逃がしてしまう。世間から失態を非難された捜査陣にとって、残された方法は公開捜査に切り替えることだった。それに伴い1万3千人のブラックリストが作成され、緻密な身辺捜査が始まったのだが…。

あらすじ

四月一日の夕刻、下谷署はにわかに緊張した。誘拐事件らしいとの情報に、捜査本部を設けるやいなや、東北なまりの男が五十万円の身代金を要求してきたのだ。さっそく指定場所に張りこんだが犯人は現れなかった。その夜警視庁の鬼刑事といわれる、堀塚部長刑事は、若い高井刑事をともない、悲痛な気持で誘拐された明彦ちゃんの家を訪ねた。そして悲しさを押しかくし、心から両刑事を迎え捜査陣に協力する母親村山敏子の姿に、二人は早期解決を強く誓うのだった。一週間後の四月七日、またしても例の男が五十万円を要求してきた。今度こそはと、捜査陣の体制は完璧で犯人の現れるのを待つばかりだった。ところが、はやる気持を押さえかねた敏子の行動のため、僅か三分の間に犯人と五十万円は消えてしまった。前例のない捜査陣の失態、世間の非難は捜査陣に集中した。ことここに至っては、公開捜査しか残る方法はなかった。一万三千人のブラックリストが作成され綿密な身辺捜査が始まった。その結果、小畑守に焦点がしぼられ逮捕は時間の問題となった。小畑は、五十万円が消えた翌日、情婦の千代に二十万円を渡していたし、小畑のアリバイもでたらめだったのだ。しかし、あと一歩と追いつめながら、小畑をクロと断定できるだけの証拠は、どうしても揃わなかった。こんな状態の堀塚に「現場百回」、いわゆる“足”しか頼るものはなかった。堀塚の執念に小畑は遂に白状した。しかし明彦ちゃんは、殺されてしまっていた。明彦ちゃんの死をまのあたりにして堀塚は、二年有余の厳しい苦労が、消えるどころか数倍になって肩にかかってくるのを感じた。明彦ちゃんが眠る円通寺の墓地を横目に、村山家に犯人逮捕の報告にいく堀塚の心中は複雑だった。

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