抱寝の長脇差 1960-01-29

公開:1960-01-29    old
 

解説

 長谷川伸の戯曲『源太時雨』を鈴木兵吾と本山大生が脚色し、大曾根辰保が監督した。同戯曲は1931年に「源太時雨」「振袖勝負」として、1932年に「磯の源太 抱寝の長脇差」として、そして1953年には再び「源太時雨」として映画化されている。
 茗荷屋という料理屋で板前をしていた磯の源太は代官を斬ってしまい、店を飛び出しやくざになった。五年後、店に戻った源太は荒れ果てた茗荷屋を目の当たりにして驚く。自分が飛び出した翌日に茗荷屋は所払いとなり、惣兵衛とお露は追い出されたというのだ。面倒を見てもらっていた矢切の伝右衛門一家を訪れるものの、すでに伝右衛門は亡くなっていた。対立する宮久保一家に闇討ちされ、伝右衛門一家の弥吉が殺害されるが、源太がその下手人と断定されてしまう。

あらすじ

磯の源太は、五年前、代官をふとしたことから斬った。そのため、板前の職を捨て料理屋茗荷屋を飛び出して、やくざになったのだ。今、荒れ果てた茗荷屋の前に立った源太は、叔父与平から事情を聞かされて驚いた。茗荷屋は源太が姿を消した翌日に所払いとなり、惣兵衛、お露の親娘は土地を去り、その後惣兵衛は死んだという。源太は矢切の伝右衛門一家を訪れた。しかし、面倒を見てくれた伝右衛門はすでに死に、乾分の大半は矢切一家と対立する宮久保一家に移っていた。そして、一家の双壁勘太郎と弥吉のうち、勘太郎は伝右衛門の娘お志乃と一緒になり、天神社の祭礼の日、矢切四代目跡目相続の披露をすることになっていた。ある夜、弥吉と勘太郎に連れられ居酒屋に行った源太は、酌婦になっているお露にめぐり逢った。彼は深く詫びた。--代官と結託、矢切一家の財源である天神社を自分のものにしようと狙う宮久保長次郎は、弥吉を闇討ちで殺した。そして、源太が現場に居合せたことや、お露のかんざしを乾分が手に入れたことを利用し、下手人は源太だときめつけた。これを知らぬ勘太郎は源太に斬りつけた。逃れた源太は、やがて宮久保の乾分の一人を捕え、長次郎の意をうけた下手人をつきとめた。誤解をといた勘太郎も詫びを入れ、二人は天神社での宮久保一家との決戦に向った。勿論、宮久保一家は総崩れ、矢切一家は無事天神社の祭礼を迎えた。勘太郎、お志乃の披露が盛大に行われ、渡し場では長脇差を捨てた源太と、お露の新しい門出をする姿があった。

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