17才の別れ 2015-05-09

公開:2015-05-09/製作:2014年    old
日本
 

解説

太平洋戦争末期の1945年3月、従軍看護要員「瑞泉学徒隊」として徴兵された沖縄県立首里高等女学校の生徒だった宮城巳知子さんの戦争体験に迫るドキュメンタリー。戦後は小学校の教師として働き、幸福な結婚生活を送ってきた彼女が定年退職後に初めて明かした胸の内を映す。『扉のむこう』でプロデューサーを務めた齊木貴郎が監督と製作を担当。長年胸に秘めてきた宮城さんの過酷な経験はもとより、無惨な戦争の実態に考えさせられる。

あらすじ

第二次世界大戦末期。日本軍大本営の命令の下、沖縄戦線の日本軍負傷兵看護を目的として、女学生たちが“徴兵”された。“出兵”までわずか数週間。花の女学生が従軍看護要員“瑞泉学徒隊”として、あたかも現在の“看護専門学校卒業生”のように仕立て上げられたのだ。50万人以上というアメリカ軍に対して、日本軍は12万人足らず。既に本土からの軍事物資の補給も食料の輸送も途絶えていた。雨のように降る砲弾、迫り来る戦車と火炎放射に、壕から壕へと逃げ惑う負傷兵と瑞泉学徒隊の女学生たち。昼は壕の中で息を潜め、闇に紛れて水を汲み、食料を探す日々。助かる可能性のない重傷兵に毒の入った注射を打って永久に眠らせよと軍医から命令される悪夢のような日々。初めは61名いた友が、戦火が去った時には半数以下の28名になっていた。瑞泉学徒隊に加わりながらも、九死に一生を得た宮城巳知子さんは後に小学校の教諭となった。結婚して子どもにも恵まれたが、自身の体験を他人に語ることが出来なかった。人に話すには、受けた衝撃が大きく、余りにも重すぎたのだ。彼女が初めてその体験を人前で話せたのは、定年退職後の1989年、63才の時だった。二度とあのようなことがあってはならない。そう思って悲惨な体験を伝えることに使命感を覚えた彼女は、それから機会ある毎に、集会や学校に招かれて自身の体験を話し続けた。その講演は300回を超える。宮城巳知子さんは現在89才。体力が衰え、人前で語ることが難しくなってきている。圧倒的な戦力で襲いかかる米軍。翻弄される沖縄県民。その中で17才の少女たちは何を思っていたのか。宮城さんの話に加え、彼女たちが逃げ惑った風景、沖縄戦線のアーカイブ映像、現代の沖縄の女子高生たちの姿を通して、継承すべき沖縄戦の真実を炙り出し、人が“生きる”とは、どういうことなのかを問う。

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