忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻 1959-01-15
解説
各社が競って製作した忠臣蔵を、東映が総力を結集して映画化。「若さま侍捕物帖 紅鶴屋敷」でコンビを組んだ比佐芳武が脚本を書き松田定次が監督した。片岡千恵蔵、中村錦之助、大河内伝次郎、市川右太衛門など東映のオールスターが登場。三時間を超える長尺のため二部構成となっている。
「桜花の巻」――元禄十四年の春、朝廷からの勅使と院使の接待役を仰せつかった赤穂藩主浅野内匠頭は、指南役の吉良上野介に意地の悪い仕打ちを受け続けた。様々な無理難題を家臣の機転により切り抜けるが、松の廊下ですれ違いざまに愚弄されたことに腹を立て、ついに刃傷沙汰を起こし自身は切腹、お家は断絶となってしまう。「菊花の巻」――浅野内匠頭の家臣だった大石内蔵助は放蕩三昧の生活を続けており、同志の中には大石のもとを離れていく者もあった。だが願い出ていたお家再興の望みも絶たれた今、大石は妻と子供に別れを告げ、主君の仇討ちを決意するのだった。
あらすじ
◇桜花の巻--元祿十四年春。赤穂藩主浅野内匠頭長矩は勅使・院使の年賀答礼使伝奏接待役を命ぜられたが、諸式指南役の吉良上野介にことごとに意地悪い仕打ちを受けた。--晋光院二百畳の表替えは、堀部安兵衛の働きでことなきをえた。また、烏帽子大紋の式服を長裃と教えられたことも、片岡源五右衛門の深慮に救われた。--しかし、三月十四日、松の廊下での刃傷で、家は断絶、身は切腹となり、田村邸で内匠頭はその短い生涯を閉じた。--報せが赤穂へ飛び、藩論は二分した。城明しに応じ退転しようという大野九郎兵衛一派と、籠城して一戦を交えようという殉忠派である。病気の橋本平左衛門は一同の奮起をうながすため、腹を切った。大石内蔵助は彼の亡骸を抱いて慟哭した。彼は籠城決戦の決意を藩士たちに示した。勘気の身の不破数右衛門も駈けつけてきた。が、内蔵助の考えは二転、三転し残った人たちを前に、彼は内匠頭舎弟大学のお取立を願い、城明渡しを決めた。軍使脇坂淡路守の情けに感泣しながら、内蔵助らは赤穂城を去って行った。◇菊花の巻--伏見の遊里撞木町で、内蔵助は放蕩三昧を続けた。数右衛門の諌言にも耳をかさなかった。小林ら吉良家の間者たちが白刃を突きつけ、その心底を吐かせようとしたときも、魂の抜けた人のように士下座して謝るばかりだった。--故平左衛門の娘たかは吉田忠左衛門から吉良邸への間者になってくれと頼まれた。隠居所の建て方を調べる役目である。岡野金右衛門の祖母とわの願いで忠左衛門はたかと許婚の金右衛門に仮祝言をあげさせた。三々九度の杯が別れの盃だった。--上杉綱憲は上野介を米沢本家へ引き取ろうとしたが、家老千坂兵部は世論をおそれ、思い止まらせた。吉良邸への浪士の監視が続いた。安兵衛は安酒をあおる日が多かった。小山田庄左衛門、高田郡兵衛の二人は浪士から離脱していった。安兵衛と源五右衛門は京に上り、一文字屋で内蔵助に討入りの決行を迫った。内蔵助はお家再興を幕府に願い出てあるからと制した。が、その望みもむなしかった。内蔵助は妻子を離別し、ひそかに江戸へ下った。おたかは地図を入手していた。八十右衛門も情報をもたらし、討入りの日が決った。浪士たちも家族と別れて集ってきた。--元祿十五年十二月十四日。赤穂浪士は本所松坂町の吉良邸へ討ち入った。