天保水滸伝 1958-05-11

公開:1958-05-11/製作:1958年    old
 

解説

 渡辺邦男が鈴木兵吾と本山大生と共同で書いた脚本をもとに監督した任侠映画。これまで幾度となく製作された題材ながら、本作はヤクザ映画の元祖的な作品とも言われている。
 江戸時代、天保のころ。対立する飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家があった。十手を預かる助五郎一家は権力を笠に、人々を支配しようとしていた。しかし人々が慕っていたのは、新興勢力である繁蔵一家の方だった。繁蔵一家の新三が助五郎一家の子分と喧嘩した。助五郎は新三の身柄の引き渡しを要求するが、繁蔵は拒否し新三を守るため縁を切る。しかし逆恨みした新三は助五郎側につき、繁蔵を襲ってしまう。繁蔵は新三の命を救うばかりでなく、堅気になれと金を与えた。しかし新三は助五郎一家の子分に殺され、その罪が繁蔵になすりつけられてしまう。

あらすじ

--天保の頃。大利根を挟んで、飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家が対立していた。助五郎は十手をあずかり、関八州取締出役関畝四郎と結び、人々をいじめていた。繁蔵一党は新興勢力であり、人々から慕われていた。繁蔵のもとに、例の平手造酒が身を寄せていた。酒びたりの彼のところへ、江戸から千葉周作の姪莵弥が慕ってきた。潮来の芸者八千草は笹川の身内小南の庄介と恋仲だが、関畝四郎が目をつけた。助五郎の子分に襲われた八千草を、造酒が助けた。笹川の身内若虎の新三は、恋人おしのからやくざを止めるよう迫られていたが、たまたま助五郎の子分と喧嘩をした。助五郎方から新三を渡せと言ってきたが、繁蔵は断った。彼は新三の身のために、彼との縁をきり、旅に出ると言った。それをさか恨みした新三は、飯岡方へ寝返った。繁蔵は鹿島神社の修復を思い立ち、花会を開いた。諸国のやくざの親分どもが集った。助五郎も招かれたが、彼はわざと不参し、代りに州崎の政吉を行かした。政吉はその妻お直との結婚の仲人を、繁蔵にやってもらったことがある。彼は助五郎一党の中で次第に孤立していく。助五郎から渡された祝儀の金は五両しかなかった。政吉が自腹を切って足しても十両そこそこにしかならぬ。繁蔵はそれを花会の席で、合計七十五両と披露し、彼に片身のせまい思いをさせなかった。江戸の帰途、繁蔵は新三に襲われた。彼は新三の命を助け、堅気になれと、金を恵んだ。しかし、新三は後からつけていた飯岡の子分に殺され、その罪が繁蔵になすりつけられた。笹川の身内の岩松が昔の泥棒の罪で飯岡一味に捕えられ、それを知った彼の母が自殺した。さらに、飯岡一味は庄介の賭場を襲い、素人を傷つけ、仕返しに出向いた庄介を待ち伏せてなぶり殺しにした。繁蔵は単身飯岡一家へ乗りこむ、--話し合いのために。が、彼は暴力でむくわれた。そのとき、造酒が現れ、彼を救った。政吉は鬼吉という旅人に託して飯岡方が夜明けに笹川方へ殴りこみをかけることを繁蔵に知らせた。--こうして、利根河原で、乱闘が始る。莵弥に知らされて、造酒も駈けつけ、血を吐きながら闘った。そのとき、八州総取締が仲裁に到着した。--政吉は軽傷ですんだ。繁蔵は何もとがめを受けず、新たに十手を託され、畝四郎、助五郎はそれぞれ入牢を申し渡された。

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