楠公二代誠忠録 1958-03-14
公開:1958-03-14
old
あらすじ
延元元年、足利尊氏は九州で再び兵を挙げ、京の都に攻め入ろうとした。これに対し、楠正成は一たん都を尊氏勢に渡し、戦備を整えてから雌雄を決しようと考えた。が、これは公卿たちによって退けられ、やむなく湊川へ兵を進めることになった。桜井の駅のはずれ、正成の軍勢が小休止しているところへ、兵庫の新田義貞から援軍を求める急使がやってきた。正成は十一歳の正行を母の許に返し、出陣した。勿論、足利の大軍には敵すべくもなく正成は湊川の戦で最後を遂げた。報せを聞いた正行は父の形見の短刀を取出した。鞘をとり逆手に構えた瞬間母が飛び出して彼をさとした。それから十年の時が流れて--後村上天皇の御代となり、諸国に散在する勤皇の士は相呼応して立上った。すでに二十一歳となった正行は、許婚と三々九度の盃をかわし、弟正時、一族の者たちと戦場へ向った。が、彼らも四条畷の決戦であえない最後を遂げた。