上方苦界草紙 1991-02-09

公開:1991-02-09/製作:1991年    old
日本
 

解説

 藤本義一の同名短編小説を、高山由紀子が脚色し村野鐵太郎が監督した。イタリアのサレルノ国際映画祭でグランプリを受賞。芸に執念を燃やす姉妹を、原田和代と葉山レイコが体当たりで熱演した。
 明治21年ごろの伊勢参宮街道では、お杉とお玉という女二人組の旅芸人が人気で、同じ名前の芸人が少なくとも五組は存在したという。お杉、お玉、お文の三姉妹は五年前、お満に三味線を仕込まれた。しかしお玉が男と逃げてしまったため、お文がお玉を名乗り、長女のお杉とともに三味線を弾くことになった。お杉は三味線の演奏中に着物の裾をはだけて足を開く芸を披露し、お文を驚かせる。芸を磨くため女になれとお文を抱いた義父の源は、お満に殴りかかられるが逆にたたきのめしてしまう。

あらすじ

明治21年、当時伊勢参宮でにぎわう街道では、お杉、お玉という女二人組の旅芸人が少なくとも五組はいて人気があった。五年前、河内の家にやってきた門付芸人お満によって、お杉、お玉、お文の幼い三姉妹は三味線の芸を仕込まれるが、その間に義父の源と娘たちを奪われた母ます江は姿を消してしまう。ある日、お文は突然やって来た源にお玉の代役として伊勢に連れて行かれる。お玉が男と逃げたのだった。そして初めてお杉、お玉として三味線を弾いたお文は、曲の半ばでお杉が白目をむき、身体をのけぞらしてひざを開くのに驚く。これもお杉の芸だったのだ。春が巡り、再び旅路についたその途中で源は芸を磨くため女になれとお杉を抱く。ところがそれを知ったお満は逆上し、源に殴りかかるが、反対にたたきのめされ、翌朝、源は意識のないお満を見捨て、二人を追い立てるように旅立つ。明治25年、二人の芸もいよいよ色めき、評判も高まって来たころ、本家間ノ山のお杉、お玉がその権利を売るといううわさがたった。同じころ、芝居小屋に出ていた鏡味仙太郎の三味線を聞いて心を奪われたお文は、彼に三味線の指導をしてもらう。明治27年、源はついに本家間ノ山の権利を買い取るが、突然警察の取締が厳しくなり、伊勢での大道芸が禁止される。数日後、お文は源とお杉を残して門付の旅に出た。自らの音にこだわり、旅を続けるお文は、川で死んでいたお満の姿を見る。そしてその手には三味線が固く握られていたのだった。

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