孤島の太陽 1968-09-21
解説
伊藤桂一の『「沖ノ島」よ私の愛と献身を』を、千葉茂樹が脚色し吉田憲二が監督した。高知県の沖の島を舞台に、保健衛生医療の普及に尽力した保健婦の荒木初子を取り上げる。
昭和24年、荒木初子が駐在保健婦として生まれ故郷である沖の島に帰ってきた。島は乳児死亡率が高く、フィラリア症が蔓延していた。初子は島を巡り保健指導をしようとするが、島民は医療に対する理解が少なく、なかなか受け入れてもらえない。初子は身寄りのない少女を育てることにし、また産婆や喧嘩の仲裁まで買って出た。その甲斐あって、徐々に島に衛生医療が広がり始め、半年後には乳児の死亡率が減っていた。しかし青年団長の父親がフィラリアで死亡し、初子は強いショックを受ける。
あらすじ
四国の豊後水道に浮かぶ小島・沖の島は、乳児死亡率が高く、風土病フィラリアに悩まされていた。荒木初子が、この離島に駐在保健婦として赴任したのは、昭和二四年の春だった。村長の紹介で竜岸寺に旅装を解いた初子は早速任務の家庭訪問に出掛けた。しかし、初子が保健指導に献身すればするほど、島民の彼女に対する感情は険しくなっていった。島民にとって初子は、お節介なよそ者としかうつらなかったのだ。初子は身寄りがない弱視の少女君子をひきとった。さらに、助産婦の経験を生かして産婆をつとめたり、ときには夫婦喧嘩の仲裁に一役買うこともあった。そして半年後、初子の努力が実を結び、乳児の死亡が減りはじめた。しかし、奇病フィラリアは依然として蔓延していた。青年団長大治郎の父親がフィラリアに罹った時、初子は獣医門馬と看病にあたったが、手のつくしようもなかった。彼の死は、二人の心をゆさぶった。門馬は正式な医師を目指し勉強を初め、初子は、県庁や大学病院を訪ね、その原因究明を依頼して廻った。それから一年、長崎大学フィラリア調査団が来島した。調査に消極的だった島民も、若い医師高岡や初子の情熱に動かされた。それから二年、大治郎が結婚し、君子は初子の世話で高知の養護学園に入学した。そして島民に対する初子の愛と献身は、いつしか住民の心をひきつけていった。初子の転任の噂が流れた時、最も強硬に反対したのは島民だった。そんな折、フィラリアの特効薬を発見した高岡が来島し、初子に求婚した。だが初子の気持は煮えきらなかった。そんな初子を見かねて、県庁の保健婦係長上村が島民の説得に乗りだした。それは、養成所時代の教え子の将来を心配してのことだった。やがて初子が、島民に別れを告げる日がきた。だが、島民への愛着は断ちきれず、再び沖の島へ引返した。高岡との結婚もあきらめ、十五年が過ぎた。沖の島は初子の献身的な努力によって、今も乳児死亡ゼロの記録をつづけている。