五瓣の椿 1964-11-21

監督: 野村芳太郎
脚本:井手雅人
公開:1964-11-21/製作:1964年    old
日本
 

解説

 山本周五郎の同名小説を、井手雅人が脚色し野村芳太郎が監督。岩下志麻が亡き父の復讐に燃える女を熱演した。川又昂の流麗なカメラワークも評価されている。
 天保五年、むさし屋喜兵衛の邸宅が全焼し、喜兵衛とその妻おその、そして娘のおしののものと見られる三人の焼死体が見つかった。数ヶ月後、人気三味線弾きの蝶太夫はおりうという娘に熱を上げていた。おりうは蝶太夫がむさし屋のおそのと関係があったことを知る。翌朝、蝶太夫の刺殺体が発見される。枕元には椿の花が置かれていた。婦人科の得石は、かつて彼はむさし屋のおそのと関係を持ち、彼女から得た金を元に開業したのだった。その得石が刺殺され、やはり椿の花が置かれているのが発見される。

あらすじ

天保五年正月十二日の夜半、本所亀戸天神のむさし屋喜兵衛の寮が燃え、焼跡から三人の死体が出た。それは結核におかされた当主喜兵衛と、妻おその、娘おしのと認められた。それから数カ月たった晩秋のこと、常盤津の三味線弾きで人気絶頂の岸沢蝶太夫は、身元不明の素人娘おりうに血道をあげていた。だが世なれた蝶太夫に身元も名のらず、年増も及ばぬ色気と手管で、あつかうさまは、何か異様な感をもたせた。ある日、蝶太夫は、料亭でおりうを抱いたが、おりうは、むさし屋の内儀おそのと蝶太夫との間にスキャンダルがあったことを確認すると、男を残して去った。翌朝蝶太夫は、平打の銀かんざしで一突きにされ枕許に一片の椿が残されていた。この殺人事件は江戸中に波紋を投げかけた。京橋水谷町に看板をあげる本道婦人科・海野得石は、禁忌とされている淫靡な治療法を患者に施し、不当な薬礼を得ていた。得石が、おみのに魅かれたのは半年程前からであった。得石は昔むさし屋のおそのに特殊な治療をしてから、ずるずると関係し、おそのに取り入っては資金を引き出し開業したのだった。この事実が得石を第二の殺人事件に追いこんだ。兇器も椿の花も前の時と同じであった。町役人は、下手人を十七、八歳の謎の美女と目していた。八丁堀の若い与力青木千之助は、料亭かね本の女中の注進でお倫に会った。このお倫が、おみのでありおりうであれば殺人犯はあがるのだ。しかしお倫は優雅な娘で、そのうえ婚約者の清一という男が名のり出た。だが顔見知りの女中が「岸沢のお師匠さんといらっしゃったおりうさん」と呼んだ時、青木の目は光った。お倫も突然の呼び声に戦慄を覚えた。それは初めて蝶太夫を殺した時のそれであった。思えば正月十二日の夜、父の遺骸の置かれている前で役者の菊太郎と姦通する母から「あんたの本当の父は、日本橋の袋問屋丸梅の源次郎」と聞きおしのは驚いた。婿養子であった喜兵衛は、家つきのおそのに裏切られても不平も言えず生涯を閉じた。おしのは母と菊次郎を焼き殺すと「母と同じ罪を分けあった男を殺す」ことを決意したのだ。そして三人目の男清一が殺された。数日後、青木のもとに、あと二人を殺したら自首して出るむね書き、謎の行動を暗示する如く、御定法で罰することの出来ない罪があるとしたためた書状が届いた。二人の内一人は、実の父親源次郎であり、もう一人は、母の姦通の手引きをした中村座の佐吉であった。母の相手を捜すのに使われて、利用価値のなくなった佐吉は第四の殺人に使われた。そして残った源次郎をおしのは誘った。長襦袢の衿を開いたおしのは実父の前で今迄の罪状をのべたあと、顔面蒼白になった源次郎に、実の娘を犯そうとする男の醜さをなじった。そして源次郎へ苦悩を植えつけると去っていった。おしのからの書状を読む青木千之助は襟を正す気持であった。そして、晴ればれとした顔で服役する女囚おしのを、いとをしんだ。源次郎はおしのに会って以来魂のぬけた毎日を送り、女房は首をくくって他界した。これを聞いたおしのは、初めて罪なき人を死に追いつめた苦しさに身悶えして、鋏をとって、生涯を閉じた。千之助はこの潔癖な娘の冥福を祈った。

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