吾輩は猫である 1975-05-31

監督: 市川崑
脚本:八住利雄
公開:1975-05-31/製作:1975年    old
日本
 

解説

 有名な夏目漱石の処女小説を、八住利雄が脚色し、市川崑が潤色・監督したコメディ。全編においてバッハの音楽を使用。1936年に山本嘉次郎監督版が公開されており、本作は二回目の映画化となる。
 中学校の英語教師である珍野苦沙弥は、妻、三人の娘、女中のおさんと紛れ込んだ猫の「吾輩」と暮らしている。家には美学者の迷亭や理学士の寒月が出入りしているが、彼らの目当ては苦沙弥の姪の雪江だった。寒月は実業家である金田の娘に恋をするが、苦沙弥は政治を利用して金儲けをする金田が気に入らない。吾輩は琴の師匠に可愛がられている三毛猫に恋をするが、三毛は車屋のクロに恋をしていた。学校では苦沙弥の教え子がラブレターを送ったことで退学になってしまう。

あらすじ

文明中学の英語教師、苦沙弥の家に一匹の猫が、半ば強引に住みついた。苦沙弥家は細君と三人の女の子、女中のおさんの六人暮しである。苦沙弥を除いて全員、猫は嫌いなのだが、苦沙弥は、追い出されてもすぐ戻るふてぶてしさに感心して飼うことにする。この家には、迷亭とか、苦沙弥の弟子の寒月が、主人の姪の雪江を目当てに、口実をつくってはよく顔を出す。迷亭は美学者だが、人に嘘をついては一人で喜こぶのが趣味で、寒月は奇妙な研究ばかりしている理学士である。さて堅物の寒月が、実業家、金田の娘、富子に恋をした。にわか成金の金田は落雲館中学の後援者だが、苦沙弥は出世と金儲けのために政治を利用している金田を許すことができなく、そのために家から目と鼻の先きにある落雲館をさけて、通勤に不便な文明中学に奉職しているのである。富子の母親・鼻子は寒月の素行調査を車屋のお内儀、二絃琴の師匠に依頼するかたわら、寒月の人物鑑定に苦沙弥の家に乗り込んだ。もともと寒月と富子の縁談に反対の苦沙弥と迷亭は、鼻子の自尊心を一蹴したために、鼻子は怒って帰っていった。猫--吾輩も恋をした。相手は、二絃琴の師匠に可愛がられている三毛である。だが三毛は車屋のクロに恋している。クロは、ネズミをとらず、イタチをとることに生涯を賭け、最後っ庇をかけられながらも、その執念を捨てない。苦沙弥が担任している生徒、古井武右衛門が富子に送ったラブレターのことが発覚するという事件が起きた。このラブレターは、実は古井が友人に名を貸しただけなのだが、退校処分になった。担任として生徒を弁護する苦沙弥と校長の溝は深くなるばかりである。その頃、野球が流行し始め、金田一派が落雲館の生徒たちをけしかけているのか、苦沙弥の庭や座敷にまでボールが飛び込んでくる。生来の胃弱がますますひどくなった苦沙弥は衝動的に家を出た。雪江の家に一泊した苦沙弥は、すごすごと帰宅した。半月ばかり姿を見せなかった寒月が故郷で結婚して細君を連れて来た。また、苦沙弥の元書生で、金田家で働いていた多々良三平も富子と結婚することになった。吾輩が恋焦れていた三毛があっけなく死んだ。吾輩は人間を真似て、ビールを飲んだ。だが、水がめに足をすべらして落ちてしまい、絶命した。俳句や絵画やヴァイオリンと、幅広く手をのばし何一つ上達しなかった苦沙弥は、今度は小説を書く決心をした。タイトルは「吾輩は猫である」。

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