学校をつくろう 2011-02-19
解説
激動の明治維新期、アメリカで勉学に励み、後に専修大学の前身である専修学校を設立した相馬永胤の半生に迫る歴史ドラマ。動乱の時代、日本と日本人の未来のために尽力した男たちの情熱と国への献身を描く。主演は『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』の三浦貴大。そのほか『アウトレイジ』の柄本時生や『劔岳 点の記』の橋本一郎らが顔をそろえる。海外旅行が当たり前の現在からは想像もできない、彼らの命懸けの留学の情熱と意欲に頭が下がる。
あらすじ
明治3年(1870)。戊辰戦争で奮闘した彦根藩士・相馬永胤(三浦貴大)は新時代を見据え、日本の急務は強兵であるとの考えから軍人を志望するが、痔持ちゆえに不合格となる。薩摩藩の西郷隆盛(永島敏行)のもとを訪れた相馬は、留学を勧められ、翌年、彦根藩費留学生として横浜から外輸船に乗り、ひとりアメリカへと旅立つ。サンフランシスコに到着した相馬は、英語の訓練を受けながら下宿生活を続けるが、希望の陸軍士官学校には入学できず、法律か経済を学ぶことを決意。だが、視力が弱まり、学費の工面もできず、明治6年(1973)に帰国する。井伊家から学費を出してもらい再渡米した相馬は、明治8年(1875)、コロンビア大学に入学、そこで江木高遠、清水篤守、三浦和夫(橋爪遼)、目加田種太郎(橋本一郎)、そして旧桑名藩士・松平定教の随従として留学していた駒井重格(柄本時生)と出会う。相馬たちは英語による模擬裁判を活発に行いながら、近代日本を作るには国際的な法律知識を持った人材の育成が必要だと感じ、明治9年(1876)、日本法律会社を発足、初代社長に三浦、会計書記に相馬が就任する。日本へ帰ってから日本語で法律を教える学校を作ろうということになり、定期大会を重ねていく。その後、相馬はエール大学大学院へと進学、薩摩藩出身の田尻稲次郎(池上リョヲマ)と知り合う。明治12年(1879)、帰国した相馬たちは、銀座煉瓦街の一角に事務所を借り、「専修学校」設立の準備を進める。そんな中、相馬と目加田は司法省附属代言人(現在の弁護士)に任命され、本格的に活動を開始。目加田は勝海舟の三女・逸子と結婚。相馬も知人の紹介で陸(近衛はな)と結婚する。やがて、校舎も見つかり、私立学校開業上申書を提出した相馬らは、開業広告を出し、生徒を募集。相馬、田尻、目加田、駒井は開校式の打ち合わせをしながら、誰からともなく手を出し合って固い握手を交わすのだった。そして、明治12年(1880)9月16日、開校入学式が開かれる……。